カテゴリ:過去( 7 )

高校のころ

小・中・高をとおして、男性の担任だったのは1回だけ。
高校1年のときでした。
一番アッサリしてて、楽でした。

中学のころは学校に行ってない時期もあったけど、高校に入って塾を決めて自分で通い始めて、担任の先生もアッサリで、吹っ切れた感じになりました。
この1年担任をしてもらった先生の授業は今でも覚えてます。

梶井基次郎の檸檬とか、森鴎外の舞姫など。
詳細までは覚えてないけど、梶井基次郎の本は他にも読みたいと思って買っちゃいました。
アレ・・ 「こころ」もそうだったかな。。。

他の先生には何を習ったか、タイトルすら覚えてないんだけど・・

面接のときに将来の話をして、私は大学の先生になりたいとか話した記憶があります。
何でそんなこと考えてたのかは忘れちゃいました。

受験のこともあまり深く考えず、体調も安定してたし、一番フツーが学校生活を送れた年だったように思います。
もう10年たつと思うと、時の流れを感じますね。。。
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by fradol | 2007-05-05 22:06 | 過去

奈緒の小学6年生。絶対戻りたくない。

小学校6年生には絶対戻りたくない。
イジメにあってました。

「1年生のときから運動能力変わってないよな」
とか
「半径3メートル以内に近づくな」
とか
「死ね」
とか。。

男子から言葉の暴力うけてました。

なんだかね。。 小学生のときにはあまりいい思い出ないです。
小学校入ってすぐに、からかわれたりしてたし。
幼稚園のときは楽しかったんだけどなぁ。 ハァ・・ (/_;)

きわめつけは先生です。
担任は5年・6年が男の年配の先生で、男子の味方だった。

イジメについて、先生に報告した女子がいて・・
クラスで話しあうことになったんだけど・・
その話し合い自体、残酷な場所だった。 イジメられる方にも悪いところはある。
って、何だか悪口大会みたいな感じになって。

第2回の話し合いの日は休んじゃいました。
当人がいなきゃ、もっと悪口でるでしょ。
当時、私ともう1人の女の子がいじめられてたんだけどさ。
なんていうか・・。 もう1人の子は女子にも嫌われてて変わった性格の子だったんだけど。

奈緒はすっかり「病気=悪いこと=いじめられる」という図式が小さいころにできちゃったもんで、小学校の低学年からそういう頭で。
6年生のときにそれがガツンときて・・。

もう先生とからむのも面倒だったから、「この話し合いで男子がちょっとは優しくなった」って提出日記に書いた。
結果としてはそれが原因でもっといじめられるようになり、いじめは卒業まで続いてたわけだけど。

中高は女子校だったから、男子からのイジメはなくなったけど、傷跡は大きかったなー。
なんていうか、病気を人に話すのが何よりイヤという状況が、大学に入るくらいまでは続いたので・・。

いまだからこうやって語れるんだけど。

大学で当時クラスが一緒だった男子とたまたますれ違ったときは身体がかたまりましたね。。
あのころ自分より勉強できてたアイツだけど、「結局同じ大学じゃん」って思った。

謝ってほしいとかそういう気持ちはないけど。。
今度会ったとき、自分が「車椅子押せよ!」くらい言える勇気がほしいね。

PS 車椅子まだ連絡こないし・・。
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by fradol | 2006-04-15 00:07 | 過去

奈緒の中学時代~暗黒時代の中学3年生。

d0056588_21471016.jpg奈緒の中学2~3年はまさに暗黒時代だった。
中学1年のときはやたら楽しくて、学校もほぼ休まずに行ったんだけど。。

中2のとき、苦手な先生が担任となり、なんだかなーって感じだった。
そのころはちょうど、障害者なのか健常者なのかよく分からんって悩んでたし、病名も知らなかったし・・。
思春期だったし・・、自信もなかったし。。

何をしたいのかも分からず、闇の中をさまよってた。
毎日のように死にたいと思ってた。
疲れてた。

よく分からない毎日だった。
きつかった・・。
中学3年のころは特に何が何だか・・って感じで、死ぬことばっかり考えて。

1月の実力テスト前日、ホント、自分がイヤで、死のうとしたんだよね・・。
死ぬ間際って感じのところまでいきました。
首つろうとしてたんだよ。。 意識なくなる直前に踏み切れなかったの。

今から思うと、思春期独特の感情みたいなのがあふれまくってた。
今は死んでもいいとは思うけど、自分から死のうとか、しないなー。
先は見えなくても、なんとでもなれっていうか・・ 鈍感になったのか?!

この中3のときのことを思えば、何があっても耐えられる気がします。
実力テストの日から1ヶ月ほど学校には行かず・・ 不登校のはしりだったかな。
学校に行くきっかけはあんまり覚えてないんだけど。。

こんな自分が、会社に休まず通っちゃうような人間になるとは、そのとき誰が想像したかな。
奈緒のこと見守ってくれてた先生には感謝です。

もう中高には5年くらい顔を出してませんが・・先生たち、元気にしてるかな。
先生たちは病気の進行のこと、どこまで知ってたのかな・・。

中学から高校の進学のときは、学校休みまくってた奈緒・・。
親が呼び出されたりしたけど、「病気で身体が弱いから」ってことで、進学させてくれたんだよね。

実のところは、奈緒は体力ないけど風邪ひくことは滅多にないんだけどさ・・。
奈緒は高1から人生が変わったのです。。 会社に入ってもう1回変わりました。
久々に同窓会とか行きたいなー。
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by fradol | 2006-04-10 21:47 | 過去

普通の生活~奈緒の高校1年生。

いかに健康というものが重要かっていうのはたびたび感じるところである。

普通に歩いて学校へ行き、授業を受けて帰る。階段で地下から3階まで上がって教室へ。
外での朝礼のためまた階段を下りては昇る・・。

高1のとき、こんな生活してました。
さすがに途中からエレベーターを併用してたけど。

中高一貫の奈緒の学校は、中1・2が2階、中3・高1が3階、高2・高3が4階でした。
高1のときかな・・。担任の男の先生に「ムリするな、エレベーター使っていいから。」って言ってもらった。

反抗期とかいろんなことがあった小学校の後半~中学3年まで。
それを何とか乗り越えて入った高校。(←小学校~高校までは一貫だったけど・・)

生涯最初で最後の男性の担任は私の味方だったな。
身体にムリがないように、車で通学していいって言ってくれたし・・。
エレベーター使うための許可を校長先生にもらってくれたりとか。

予備校の講師&他校の教師からうちの高校教師になったばかりで、初めての担任だったから苦労もあっただろうに・・。
奈緒はこのころ大学教授になりたいとかバカなこと言ってて、博士まで行きます!ってハリキリ野郎だった。 面接で「大変だよ、いっぱい勉強しないと」って言われた。

この先生は「自分は高校教師なんてやるのは本望じゃない。大学の教授になりたい」といったことをよく授業で言ってたんだけど、奈緒が高校卒業してしばらくしたらホントに大学の先生になっちゃった。 カッコいいよなー。
国語嫌いだった奈緒だけど、この先生の授業は超面白かったし、このころから国語も好きになった。
「檸檬」や「こころ」、「舞姫」を習った気がする。力強い先生だったなー。

高1のときは中学までの暗黒時代を乗り越えて、予備校に入り、世界が開けた感じだった。
それといった夢はなかったけど、化学を大学で勉強したいと思ってた。

東大を目指し、学校でも塾でも優等生。 勉強で開花し始めて、ようやく自分にも自信ができはじめたころ。
言わなきゃ病気だって分からないし。

体育は見学してたけど、階段だって手すりがあればちょっと遅め位のスピードで昇れたし。
帰りはバスと電車で帰って、土日は買い物もして、塾行って勉強して・・。
部活こそやってなかったけど、めいっぱい楽しんでた(かな)。

あのころに戻りたい?って聞かれたらビミョーだけど。(今も楽しいから)
16歳。10年前。 これも私のターニングポイントだったかな。
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by fradol | 2006-04-08 23:24 | 過去

愛情を受けて育ったこと。

自分の過去はとても恵まれてました。
あまり過去は振り返らないようにしてますが、いい思い出は自分にとっての励みになります。

今の自分も恵まれてます。
これ以上ないくらい、愛情を受けてます。

小中高、ずっと私立の一貫校でした。
小学校のころは通うのが遠かったし、地域に友達もいないし、公立がいいなーって思ってた。
中学のころは反抗期で登校拒否をしたりして、学校が嫌いだった。
高校になって予備校にも通い始めて、ようやく自分の居場所を見つけた。

高校2年と3年は特に楽しかったです。
勉強をがんばり、推薦で大学へ。県内で通学も楽だし、私大の中ではトップ校。
これ以上求めるのはナンセンスということで推薦を受けました。

大学4年は何とか自力で1時間の電車通学をした。
駅からはタクシーを使ったりもしたけど、その分は勉強をがんばってもらった奨学金でまかなった。 親にはかなりの愛情とお金を注いでもらいました。

3年前、大学を卒業して家から車で15分のところの企業(支社)に就職。
それもまた、いいタイミングで、病気の進行にあわせたような運のよさ・・。
最初の1ヶ月は品川の本社で研修だったんだけど、その後は本社にほとんど行かなくてOK。
いまや外出はなしでテレビ会議でOKの世界です。

今自分は車椅子を作ろうとしていて、徐々に生活の中に取り込む予定だけど、大丈夫。。
もう少ししたら、ロボットスーツができる(はず)。電動車椅子やロボットスーツを使えば世界が広がるよね。

去年の夏ごろ、もう歩けないかもって思ってたのに、いまだに歩いてます。
神様、ありがとう。 感謝してます。
もうちょっと、もうちょっと自分が納得できるまで歩かせてください。立てるようにしてください。
神様、よろしく。

全日本フィギュアで滑り終わって「神様」って口にしていた村主さん。
優勝した彼女とは、小中高が一緒でした。 1回だけ、クラスが一緒で席が隣になりました。
努力家で、気取らない感じの優しい子です。 トリノオリンピックでは彼女を応援してます。

自分は、少しだけネガティブなここのところ顔を出してます。
彼女の演技を見て心を洗おう。

明日から、ハワイに行ってリフレッシュしてきます!!!
発つのは明日の夜です。
しばらく留守にしますが、楽しんできます。
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by fradol | 2006-02-11 23:18 | 過去

自己ベスト

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50メートル 17.9秒が自己ベストです。

といっても小学校3年生のときだけど。



小3まではみんなと一緒に体育をやっていた。
小3のときの先生は新任で、いろいろ工夫してた。
私ができない部分は、手伝いとかに変えてくれて、だいぶ楽しむことができた。

マット運動ではテストの日に、「放課後に体育館に来てやろう」って言ってくれて、みんなと一緒にはテストを受けなかった。
当時は前転はできたので、前転したところ、「すごいねー。○組の○○くんは練習してこの間やっとできるようになったんだよ」って褒めてくれた。

鉄棒のテストは「なまけもの?の格好をして○秒、鉄棒にぶらさがる」っていう感じにアレンジしてくれた。

でも、みんなと一緒にやらせてもらったものもあって、それが50メートル走。
全員にタイムカードを配ってくれました。
「大人になってから見るといい思い出になるよ」
ってみんなに渡してくれました。

大人になると・・と思いつつ、15年も後生大事に持ってたわけです。

小4のときもタイムを計ってもらった。
そのときは違う先生で、体操着じゃなくて制服だったんだけど、確か18秒代だった。
50メートル 17秒代の私のタイム。人生の中での自己ベストです。
・・・小1のころはもっと速かったけど、記録がないからね~・・
かけっこして、みんなに数メートル遅れるくらいで走れてました(^^ゞ

走った思い出、ほかにもありますけど、それはまた今度♪
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by fradol | 2006-01-15 17:01 | 過去

特殊空間、居心地のよい空気で満たしてください。

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暖かい。薄暗くて閉鎖された特殊な空間。
闇を引き裂くようなサイレンの音を鳴らして、でこぼこした道を急ぐ。

何故か救急車は深い安堵感を私に与えた。
守られている。自分のために精一杯頑張ってくれる人たちがいる。
「よく頑張りましたね、病院につきましたよ」

涙がぽろっと落ちた。

あの音を聞くと満たされた気分になる。
私を連れにきたわけではないけれど・・
気持ちいい。ここから私はどこへ行くんだろう。
身体が軽くなって、心を押さえていた何かもはずれて・・。

求めていた世界にやっといけるのかな。
また私を助けてください。
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by fradol | 2005-05-28 09:50 | 過去